この記事はPRを含むことがあります

「岩国城って、結局だれが作ったお城なんだろう?」って気になりますよね!
錦帯橋のイメージが強い岩国ですが、実は山の上にそびえる岩国城にも、ドラマみたいな歴史が詰まっているんですよ。
しかも岩国城は、建てられてから長く残ったお城…ではなく、あるルールのせいで取り壊されてしまったという、ちょっと切ない背景もあります。
この記事では「岩国城誰が作った?」の答えを中心に、築城の年、城の特徴、今見られる天守がどういう存在なのかまで、スッキリ整理しますね!
読んだあとには、岩国城を見る目が変わって「次に行くときはここを見たい!」が増えるはずです!
岩国城を作ったのは吉川広家さんです!
結論からいきますね!
岩国城を築いたのは、初代岩国領主の吉川広家(きっかわ・ひろいえ)さん。
築城は慶長13年(1608年)と、岩国市の観光公式サイトでもはっきり紹介されています!(公式情報なので安心ですね!)
吉川広家さんが岩国城を築いた理由と、城のポイント
公式サイトが「築城者=吉川広家さん」と明記しています
「誰が作ったの?」を調べると、ネット上にはいろいろな書き方が出てくることもありますよね。
でも岩国城の場合は、岩国市の観光公式サイトに築城者・築城年が具体的に書かれています。
なので、答えはかなりクリアなんですよ!
慶長13年(1608年)に城山へ築城!錦川を“外堀”にした山城です
岩国城は山口県岩国市の城山に築かれた山城で、錦川を天然の外堀として利用していましたっていうので、すごく合理的って思いました!
川と山の地形を防御に活かす発想が、まさに「山城らしさ」ですね。
実は「山の上の城」だけじゃない!麓の御土居とセットでした
岩国城は、城山上の山城だけで完結していたわけではありません。
城郭情報サイトなどでは、麓の居館「御土居(おどい)」と組み合わせた城づくりだったと解説されています。
山の上で守りを固めつつ、麓の生活・政治の拠点も整える…という構成だったわけですね。
「城=天守」だけじゃないのが、お城の面白いところではないでしょうか?
天守は桃山風の南蛮造り!でも長くは残れませんでした…
築城当時の天守は、桃山風の南蛮造りで、三層四階と紹介されてます。
なんと当時の岩国城、見た目もかなり華やかだったみたいなんですよ!
ところが…。
岩国城は元和元年(1615年)、幕府の一国一城令によって取り壊されてしまいます。ガ~ンです!
1608年に築いて、1615年に取り壊しなので、期間としては約7年ってかなり短くて驚きというか、もったいないですよね。
「岩国城誰が作った?」がもっと腑に落ちる具体ポイント
具体ポイント1:今見られる天守は「再建天守」なんです
現地で天守を見ると「昔から残ってるのかな?」と思う方も多いはずです。
でも実は、現在の天守は昭和37年(1962年)に再建されたものなんですよ。
つまり、いわゆる「現存天守」ではなく、再建天守として理解するのが適切なんですね。
ここ、知っているだけで見学の満足度が上がります!
具体ポイント2:復元場所は旧天守跡と同じではありません(約50m移動)
さらに面白いのが場所の話です!
岩国市の観光公式サイトによると、現在の天守は旧天守跡から約50メートル東側に位置を移して復元されたと説明されています。
そして、旧天守跡の石垣も修復されていて見学できるんです。
「今の天守」と「旧天守跡の石垣」をセットで見ると、歴史のつながりがグッと感じられて楽しいですよ!
具体ポイント3:行き方はロープウエーか登山道!車では上まで行けません
観光で行くなら、アクセスも大事!
岩国城へはロープウエー、または紅葉谷公園付近からの登山道を利用すると案内されています。
私は昔、ロープウエーそばにある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の奥にある山道から登ったことがあります。
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の奥にある山道は険しいです。現在は使用できるか不明ですので、紅葉谷公園付近の登山道がおすすめです。
重要なのが、車で城まで入ることはできないという点。
登山道には危険な箇所もあるため注意が必要、とも書かれています。
歩きやすい靴で行くのが安心ですよね!
具体ポイント4:運休・通行止めのお知らせが出ることもあります
お出かけ前に、もうひとつだけ!
2026年9月時点の観光ポータルでは、ロープウエーの運休や登山道の通行止めに関するお知らせが掲載されています。
状況は変わることがあるので、訪問前に公式サイトで最新情報をチェックしておくと安心ですよ!
「せっかく行ったのに上がれない!」は避けたいですもんね。
岩国城を作った人と歴史の要点まとめ
最後に、ポイントをぎゅっと整理しますね!
- 岩国城を作ったのは、初代岩国領主の吉川広家さん。
- 築城は慶長13年(1608年)。城山に築かれ、錦川を天然の外堀として活かしました。
- 天守は桃山風の南蛮造り(三層四階)だったと紹介されています。
- 元和元年(1615年)、一国一城令で取り壊されました。
- 現在の天守は昭和37年(1962年)に再建。旧天守跡とは位置が異なり、約50m東側に復元されています。
気になったら、次は「旧天守跡の石垣」も見に行きませんか?
「岩国城誰が作った?」の答えが吉川広家さんだと分かると、岩国城ってただの観光スポットじゃなくて、岩国のはじまりを形にした場所に見えてきませんか?
もし現地へ行くなら、天守だけで満足せずに、旧天守跡の石垣もぜひセットで見てみてください!
「ここに本来の天守があったのか…!」と想像がふくらんで、楽しさが一段上がるはずですよ。
そしてお出かけ前には、ロープウエーや登山道の状況を公式サイトで最終確認![2]
準備を整えて、気持ちよく岩国城の景色と歴史を味わいに行きましょうね!